Chapter_V 「ベルツ賞」の誕生
26年にわたる日本での教鞭生活を経て高まる評価
1876年(明治9年)から1902年(明治35年)まで、26年にわたり東京大学医学部で教鞭を執ったベルツは、ドイツ帰国に際して日本政府からベルツに勲一等旭日大綬章を授与されました。
またドイツ帰国後の1905年(明治38年)には、ドイツのヴュルテンベルク王はベルツを貴族に列し宝冠章を贈与。1907年(明治40年)には東京大学構内に、同僚だったスクリバ博士とともにベルツの胸像が建立されました。
撮影された胸像
医学研究・論文に贈られる「ベルツ賞」の設立へ
ベルツが最後に来日したのは、1908年(明治41年)のことでした。その最後の来日時にベルツは、東京大学医学部に5千円を寄付しました。これは理学療法と優秀な研究者に贈る賞の基金となりました。
後の1964年には、ベーリンガーインゲルハイムが医学における日独の友好関係や、日本人医学研究者の優れた研究・論文を称えることを目的にベルツ博士の名を冠した「ベルツ賞」を創設。ベルツ博士の志を継ぎ、医学の新たな未来の創造に貢献していくこととなりました。
出典:『ベルツ博士と日本の医学』永井 良三著
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